香料屋さんが綴る、「香り屋日記」香りに関わる富士香料化工のスタッフが、日々感じた事を連載していきます。
2006年02月07日
今年も早1ヶ月、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
昔、「猿の惑星」という大ヒットした映画がありました。海辺の砂浜に埋もれた自由の女神を見て「ここは地球だったんだ!」と叫ぶラストシーンは衝撃的でした。この衝撃的な感覚が、前回掲載した「味覚の行方」の中で書いた本質地点に到達した時の感覚とよく似ていると思います。つまり、「お、俺はこの食べ物が本当は嫌いだったんだ。」と気づいたときです。
この衝撃は好きだ好きだと思っていた食べ物が実は嫌いと気づくときなのですが、その逆もあり得ると思います。子供の時、金時豆(給食にもよく出てきた)が大っ嫌いだった。それが今では好きとまではいかないが、問題なく食べられる。それから牡蠣。しかもカキフライは最悪だった。あの独特の苦味とフライの油とがなんともいえない逆ハーモニーをかもし出し、嫌いだった。でもこれも今では別になんでもない。たぶん、これらは本当は好きで、本質地点に到達するくらい食すれば、本当は好きということにゆくゆくは気づくのかもしれない。
嫌いだと思っていても、それは本質的に嫌いということではなく、なにか・・・こー・・・、トラウマ的な、何かいろいろな要素かなんかが行く手を阻んでいるだけで、本当は好きだという可能性も多々あると思う。
いずれにしても、このように本質的な味覚の好みを追い求めていけば、人間というものは、食べ物の好みはすべて一緒だということになるのではないかと思えてなりません。日本人も、アメリカ人もヨーロッパ人も、人間すべてです。つまり、人間という動物は、この食べ物が好きで、この食べ物が嫌いと完全に分けられるのではないかと思うのです。何かに阻まれて個人個人の好みが分かれているように見えているだけで、人間の食べ物の好みは共通だと思います。
平たく言えば、ひたすら好んで草を食べる草食動物ように、人間も実は「****動物」と分類できるのではないかと思うのです。
この続きは次回へ
[やっとかめ]