香料屋さんが綴る、「香り屋日記」香りに関わる富士香料化工のスタッフが、日々感じた事を連載していきます。
2016年05月24日
味覚の行方35
小・中学校と給食でした。小学校3年までは学校内に給食室というのがあって、給食を作ってくれるおばさんたちがいました。4年からは市の給食センターから給食が届けられ、給食室はなくなってしまいました。給食センターからの給食が始まった時、教頭先生が校内放送で配膳の仕方や食べ方の説明があったのをおぼえています。
高校からは弁当となり、おかあの作った弁当をお昼に食べることになりました。料理の下手なおかあが作った弁当を人に見られるのが嫌で、いつも隠すように食べていました。みんなの弁当は卵焼きひとつとってもきれいで上品でした。おかあのは単に焼いただけの卵焼きでした。目玉焼きが入っている時もありました。しかも焦げ焦げの。「もっときれいに巻いた玉子焼とか作って!」とお願いしたこともありましたが、「お腹にはいりゃ~、いっしょや。」というようなおかあだったので、きれいな弁当になることはありませんでした。
今の弁当箱はいろいろな種類がありますが、あの頃の弁当箱は四角いブリキの弁当箱が普通でした。その四角い弁当箱をうちのおかあは新聞紙に包んで持たせてくれました。今の人が聞くとびっくりするかもしれませんが、あの頃はうちのおかあだけではありませんでした。子供の頃の記憶がありますが、スーパーでコロッケなどを買うと新聞紙で作った袋に店員が入れてくれていました。あの頃は包むとかは普通に新聞紙を使っていました。たとえ食品であっても。普通だったころはそれが普通だったので、何も感じることはありませんでした。それが普通ではない今は普通ではないので、信じられないかもしれません。
四角のブリキの弁当箱の中にご飯とおかずが区切られ、だいたいごはんが2でおかず1の2:1の割位ですが、うちのおかあのは区切りをずらして3:1位だったかもしれません。そんな感じなのに、クラスの中におかずが2でご飯が1というような弁当を持ってくる子がいました。しかもおかずはきれいでおいしそうなものばかり。その子の家庭環境が想像できるだけでなく、給食を恋しく思ったことをおぼえています。
[やっとかめ]